画像提供:神戸市
阪神・淡路大震災が発生してから、まもなく27年。今の姿と当時を比べて見ると、地震の怖さや復興の努力を感じられると思います。
【現在】三宮の「サンキタ通り」。去年の春に阪急神戸三宮ビルや広場が完成し、たくさんの人が行き交う場所。
画像提供:神戸市
【1995年】駅ビル「阪急会館」は震災で半壊の被害を受けました。
サンキタ通りにはガレキの山ができ、ビルの窓が割れたり、ひしゃげたりして、翌月には解体。
【現在】2019年秋に「神戸阪急」へと変わった旧「そごう神戸店」。
画像提供:神戸市
【1995年】本館が大きく被害を受け、震災の数か月後にその部分を取り除いている写真です。
なくなった部分に、「エスカレーター」や「広場」が作られ震災の翌年には今のような姿に。
【現在】神戸港をのぞむ神戸海援隊の像。
「BE KOBE」モニュメントがあったり、イベントが行われたりと人で賑わうメリケンパークです。
画像提供:神戸市
【1995年】像のギリギリのところまで大きく崩れ、海に沈みました。
【現在】兵庫県庁の近くにある「神戸栄光教会」。
画像提供:神戸市
【1995年】「赤レンガの教会」として親しまれていましたが、全壊。
2004年に再建されるまで、テントの礼拝堂などで礼拝を行い今に至っています。
こうした震災の関連写真は、「1.17の記録」というサイトで見ることができます。
区ごとに分かれていて、キーワード検索などもできるので、自分の身近な場所が地震によってどうなっていたのかが分かるかもしれません。
震災から27年。街を歩いているだけでは感じにくい当時の様子を写真で見比べて想像してみてはいかがでしょうか。
◆関連リンク
・阪神・淡路大震災「1.17の記録」 – 公式サイト
たまたま前日に六甲アイランドに行っていました。
そこがわずか12時間後に変わり果てた姿になっているとは想像していませんでした。
逆に言うとあの震災が12時間早く来ていれば私はこの世にいなかったかもしれません。
生と死が紙一重であると改めて感じます。
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
震災を知らない成人も増えてきて ますます危険意識が薄れて行く中、大災害が発生したらパニックになるのは必至だと思うが、過剰なパニックの対策を対話の上で構築すべきだと。
公共団体や大企業が防災対策として 食品や日用雑貨の備蓄を行い 常にフレッシュローテーションしていくシステムを構築すべきだと考える。空きトラックの提供や運転手のボランティアなど 地域別に準備していくのが望ましいのだが・・・