
2021年、神戸ジャーナル「神戸ピーポー」取材時
毎年1月17日、神戸の街が震災を想うとき、そっと寄り添うように流れる合唱曲「しあわせ運べるように」。この曲を作詞作曲した神戸親和大学教授の臼井真(うすい・まこと)さんが、7月11日までに亡くなられました。65歳でした。
神戸市東灘区出身の臼井さんは、神戸市内で倒れ、そのまま帰らぬ人になったと報じられています。神戸ジャーナルでも2021年に、神戸で活動・活躍される方々を紹介する連載企画「神戸ピーポー」でお話をうかがった方です。

2021年、神戸ジャーナル「神戸ピーポー」取材時
「しあわせ運べるように」が生まれたのは、1995年の阪神・淡路大震災の直後。当時、神戸市立小学校の音楽教諭だった臼井さんは、自宅を全壊で失いながら、震災から約2週間後、変わり果てた三宮の街並みを前に歌詞を書き上げ、メロディーを付けます。
やがてこの歌は、被災地から被災地へと歌い継がれていきます。国内外の災害の地でも歌われ、いまも神戸ルミナリエや震災の追悼のつどいで耳にする、復興のシンボル。
2021年には、神戸市にとって二つ目の「市歌」にも定められました。

2021年、神戸ジャーナル「神戸ピーポー」取材時
2021年にお会いした臼井さんは、とてもおちゃめで、穏やかな方。曲の話になると自然に口ずさみ、誰に対しても垣根をつくらない、38年間神戸の小学校で「音楽の先生」を続けてきた人らしい、あたたかな空気をまとう方です。

作曲はまずノートに歌詞を書くことから(2021年の取材時)
生み出した曲は、当時の取材時でおよそ400曲。「しあわせ運べるように」がよく知られていますが、ご本人が一番好きだと話すのは、音楽会の最後に歌う「みえない翼」だそう。
子どもたちが涙をこぼしながら歌うその曲について、「音楽で感動して『宝石の涙』を流せる子は、きっと心豊かな大人になれる」と、やさしいまなざしで語ってくれました。

2021年、神戸ジャーナル「神戸ピーポー」取材時
子どもたちにここまで向き合う原動力になったのは、教員になりたての頃にもらった一枚の手紙。練習に熱が入りすぎて声が出なくなった臼井さんに、ある生徒が「僕の声をあげられるものなら先生にあげたい」と書いてくれたのだとか。その純粋な気持ちが、その後の38年を支えます。
臼井さんは取材のなかで、こんな言葉も残しています。「神戸生まれの神戸育ちで、生粋の神戸っ子です」。そして、「山があって海がある」故郷・神戸の街が大好きだ、と。震災で傷ついた神戸の復興を願って書いた歌が第二の市歌になったことを、「神戸っ子の私にとって最高に幸せな出来事」と、心から喜んでいました。
当時のインタビューでは、臼井さんの人柄や歩みをたっぷり紹介しています。あたたかなお人柄にふれられる記事なので、あわせて読んでみてください。
教員を勤め上げたのちは神戸親和大学で教壇に立ち、次の世代の「先生」を育てることに力を注いできました。2014年には神戸新聞平和賞、2025年には兵庫の名声を高めた功績をたたえる「県勢高揚功労」の表彰も受けています。
神戸の子どもたちの歌声とともに、これからも生き続ける「しあわせ運べるように」。その旋律を私たちに残してくれた臼井真さんに、心より感謝を申し上げるとともに、謹んでご冥福をお祈りいたします。
◆関連リンク
・しあわせ運べるように – 公式サイト
・神戸親和大学 – 公式サイト











































神戸ジャーナル 編集部
ライター一覧