建て替え工事中の「神戸銀行協会ビル」跡地で、旧居留地の歴史を辿る写真が展示されてる

ライター:かな

建て替え工事が行われている旧居留地の「神戸銀行協会ビル」跡地の様子を見てきました。


神戸市中央区江戸町91-1

三宮・東遊園地の西側にあった「神戸銀行協会ビル」は、1951年に建てられ大理石の列柱やタイルの外壁、縦長や丸の窓が印象的なビルでした。

すでに取り壊し工事は完了し、2025年4月末頃には新しいオフィスビルが完成する予定です。

詳しい場所や建て替え後の完成イメージなどは、以前の記事でご紹介しています。

旧居留地のレトロな「神戸銀行協会ビル」が取り壊され、新たにオフィスビルになるみたい

2022年3月23日

旧居留地の「神戸銀行協会ビル」がすっかりなくなってる。次に建つビルの雰囲気も分かってきた

2023年6月25日

仮囲いの向こうには、クレーン車やセメントタンクが見えており、本格的に建て替え工事が始まっています。

海側の仮囲いには、居留地が誕生した明治初期から現在に至るまで、旧居留地の変遷を辿る写真が展示されていました。

それぞれの時代に起きた特徴的な出来事に焦点を当てて、旧居留地内の建造物などが紹介されているので、その内容を一部抜粋してご紹介します。

①明治初期
「旧居留地時代 京町筋」
格子状につくられた居留地内の道路は、東西方向を「通」として北から裏町、北町、仲町、前町、海岸通と名付けられました。この名前からも海側が玄関であったことが分かります。(以下略)

②明治
「神戸オリエンタルホテル」
オリエンタルホテルの歴史は古く、1870(明治3)年には京町79番で営業していたという記録があります。
そして1888(明治21)年ごろに京町80番に移転、その後1907(明治40)年には3代目(写真)が海岸通6番に地下を合わせて5層の建物を新築、エレベーターや火災報知器など当時の最新の設備を備えていました。(以下略)

③明治
「居留地の返還」
1894(明治27年)の条約(日英通商航海条約)により、居留地返還が決まります。(以下略)

④大正
「海岸通」
海岸通にはもともと海沿いにプロムナードが設けられており、松並木がつづいていました。
しかし大正末から昭和初期(1920年代)に海岸部の埋立て工事が行われ、以後、鉄道の敷設や道路の拡幅、さらには陸地の沖だしがなされます。(以下略)

⑤昭和
「大丸神戸店」
1908年(明治41年)、元町4丁目に「大丸呉服店神戸出張所」として開業し、1927年(昭和2年)に西洋風の建築スタイルを取り入れた本格的なデパートとして、現在の明石町に移転オープンしました。(以下略)

⑥昭和
「神戸証券取引所(神戸朝日ビル)」
1934年(昭和9年)に建築家の渡辺節による設計で建てられました。
1970年代に取引所としての役割を終えた後は、映画館などを含む神戸朝日ビルとして使用されました。(以下略)

⑦昭和
「神戸岡崎銀行(三井住友銀行)」
現在の三井住友銀行の前身行のひとつであり、明治・大正期の神戸発祥の日本の財閥である岡崎財閥により、1917年(大正6年)に設立されました。(以下略)

⑧平成
「阪神・淡路大震災」
1995(平成7)年1月17日に発生した阪神・淡路大震災は、旧居留地にも甚大な被害をもたらしました。
地区内106棟のビルの内、最終的には22棟が解体を余儀なくされました。(以下略)

【現在地】令和
「神戸銀行協会ビル」
1950年(昭和25年)、神戸銀行協会、神戸手形交換所、神戸銀行倶楽部の三つの機能を複合的に果たすべく、建築家の長谷部鋭吉氏による設計で建てられ、後に神戸経済同友会も入居し、神戸の緊急センターとして、また財界人の交流場として70年以上にわたり親しまれてきました。(以下略)

展示期間は、ビルの完成予定時期と同じ「2025年4月末頃」まで。仮囲いがされているうちは、展示もこのままのようです。

150年以上の歴史の中で様々な出来事を経験してきた旧居留地の街は、今後どのように変化していくのでしょうか。

◆関連リンク
神戸土地建物株式会社 – 公式サイト

 

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かな

観葉植物ペペロミアホープの日々の成長を見て癒されています。

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