大学や短大の多い阪急神戸線・今津線沿線で、ここ六甲駅は「学生街」らしいものが見当たらない。神戸大学のお膝元なのにもかかわらず、駅前に学生が集まりそうな居酒屋やラーメン店、ファストフードは皆無(昔あったマクドナルドは閉店)。いかりスーパーや銀行、洋菓子店などはあるが、岡本のように商店街があるわけでもなく、5分も歩けば静かな住宅街になってしまう。
今日の目的地は、神戸大学のある駅北側のエリアだが、まずは南側(神戸の人は海側と言う)へ降りてみた。六甲山観光への玄関口とも言える駅南側のバス停からは、市バスが観光客や登山客を運ぶ。そのバス停の裏側にある、こんもり茂った森は[六甲八幡神社]の社叢だ。取材した日は厄除大祭(1月18日・19日)の準備中だった。サメ釣り、玉子せんべい、ベビーカステラなど露店の幕が並ぶだけで心が躍る。
鎮守の森の周りはカルチャータウン
六甲八幡神社の境内を出て、周囲を散策すると、落ち着いた住宅街の中に[器 暮らしの道具 フクギドウ]という雑貨屋さんや、バレエ教室、学習塾、外国語教室などの看板がちらほら。文化度の高さが溶け込んだ独特の街並みだ。その中に[コイネー]というアートスクールを見つけて、六甲ビルの階段を上がっていく。あいにく代表の中村征士さんは不在だったが、「絵を描かないアートスクール」を掲げ、美術を鑑賞しながらみんなで感想を発表する中で、自分の「好き」を探究していくのだそう。MoMA(ニューヨーク近代美術館)で開発された「対話型鑑賞メソッド」が、六甲で体験できるなんて。型にはまらず、自由にのびのびと自分の感じたことを人に伝える喜び、楽しさ。そんな体験を私も子どもにさせたいけれど、住んでいるニュータウンの近所では、なかなかこんな素敵なスクールには出会えない。
そして、同じビルの1階には「神戸の中のギリシャ」と言われる料理店[Φ(フィ)]がある。ここでは、ギリシャ人のアンドレアスさんと春原伸佳さん夫婦が、伝統的な料理やワイン、語学、音楽、工芸品、旅行を通じて、ギリシャと日本の文化の架け橋となっている。お二人は、三宮や元町といった大きな街よりも、地元密着のスタイルが合っていると、住んでいる六甲で料理店をすることを決め、子どもたちを育てながら、近くで働くという職住近接を選んだ。
こうした子どもを通じての家族付き合いや、近所の方々に支えられてきたと言い、「11年続いた、すべては六甲愛……かな?」と春原さん。ちなみに、先述のフクギドウ(表ゆかり・三上裕子)の著書『つくり手からつかい手へ、豊かな暮らし』(主婦の友社)では、器の使い方の提案として、春原さんがギリシャ料理と盛り付けで協力している。地に足がついた暮らしの中で、本物を求める感度の高い人と人のつながりが六甲らしい。
[Φ(フィ)]を知ったのは、「神戸マルシェ」というイベントの運営を個人的にお手伝いしていたことがきっかけ。参加するレストランのシェフたちが集まるミーティングで自己紹介を兼ねて、春原さんがギリシャ発祥のオリーブオイルを試食させてくれた。その果実をしぼったような、オイルとはまったく違う風味に衝撃を受けた。聞けば、日本ではなかなか手に入らない、単一農家・単一品種のオリーブをコールドプレス(機械や溶剤を使わず、熱をかけずにオリーブの果実から油分を絞る昔ながらの製法)して作られる、最高品種のものだそう。[Φ(フィ)]では、お料理にふんだんに使われ、購入することもできる。
また、神戸マルシェでは、六甲山行きのバス停をそのまま下っていったところにある[古本とジャズ 口笛文庫]という古書店にも出会った。神戸大学が母校の店主・尾内純さんも、六甲に縁(ゆかり)がある人。神戸マルシェのWEBサイトでインタビューしたのが2008年。15年ぶりに訪ねてみたら、尾内さんは驚くほど変わっていなかったが、扱う本は膨大に増え、2019年9月からは、三宮センイ商店街に[三宮駅前古書店]も営むようになっていた。
ガラスの引き戸を開けると広がる、本の森。児童書から文庫、実用書、雑誌、洋書、明治〜昭和の古書のほか、CDやレコードもあり、扱うジャンルは幅広い。近所の子や大学の先生、古本好きとお客さんもさまざまで、本の虫の息子を連れてきたら喜ぶだろうな。「六甲の街、暮らしに馴染む古書店になりたい」と話していた頃から15年、しっかり根を張り、その言葉通りになっている。丁寧に言葉を選ぶ尾内さんとゆるゆる話す間、その手はずっと棚の本を整理していることに気づく。ほんとに本が好きなんだなぁ。今日も明日もこれからも、彼が選んだ1冊1冊の本が、次の読み手を待っている。
駅の方へ戻って、六甲ビルの前を過ぎ、駅西側の花園線を山に向かって、桁下制限2.2mの高架をくぐる。神戸大学を目指して少しずつ角度が上がっていく坂道に、この街が山の街だったことも思い出す。途中、以前取材したユニークな石垣も確認。なんと[ホテル六甲ハウス]の名が彫られたままの門石が再利用されているのだ。大正時代まで御影石の採掘が盛んだったことから、古い家の石垣は立派なものが多い。
キャンパスから普通に見える大パノラマ
つづら折りのバス道を曲がる度、ぐんぐん高度が上がっていく。もはや登山だ。道沿いには急斜面に張り付くように建てられた家々があり、その建築ワザに目を見張る。
やがて神戸大学正門に到着すると、堂々たる広い階段の頂に、本館の美しい姿が現れた。昭和7年(1932)竣工の国の登録有形文化財で、ロマネスク様式の石造りの重厚な校舎。本館のほか、図書館・兼松記念館・武道場・六甲台講堂が近代建築群として知られている。新旧いくつもの校舎が山の傾斜に沿って建てられ、小道でゆるやかにつながる風景は、いかにも山の街・神戸の大学らしい風景だ。
神戸大学といえば、経済・経営、つまり商いの学問のイメージが強い。それもそのはず、源流は明治35年(1902)、東京に次いで全国で2番目の高等商業学校として設立された神戸高等商業学校にある。同校は、昭和4年(1929)に神戸商業大学に昇格。昭和10年(1935)、ここ六甲台に本拠を構えた。
昭和24年(1949)の「国立大学設置法」により、兵庫の総合知が結集する形で、神戸大学が誕生。神戸商業大学が経済学部・経営学部に、神戸高等工業学校が工学部、姫路高等学校が文学部・教養部・理学部、兵庫師範学校が教育学部となった。さらに1960年代に医学部と農学部が、それぞれ兵庫県立の大学から移管され、現在は10学部ほかで約15,000人が学んでいる。
本館から少し南へ降りた、社会科学系アカデミア館のテラスからは、徳島、淡路島、神戸空港、大阪、和歌山までの、大阪湾のきれいなカーブが一望できた。私たちは寒さも忘れて、しばしその景色にほーっと見とれていた。実は、私たちが見たかった、神戸の海をパノラマ写真のように切り取った風景は、ここからではなく、六甲台第2キャンパスの百年記念館からのものだったと、原稿を書いていて分かったので、いつかまた山を登って再々訪したい。
文/松本 有希(まつもと ゆき)
神戸をこよなく愛する編集者&ライター。某電鉄系フリーペーパー編集部に在籍した後、2020年から株式会社神戸デザインセンターへ。興味ある分野は食べ歩き、街歩き、ゲーム、鉄道、阪急、旅行、手紙。1977年兵庫県生まれ。神戸女学院大学卒業。
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絵/綱本 武雄(つなもと たけお)
「手しごと舎 種」にてイラスト、編集、造形制作などを手がける。「プラモ尼崎城」発起人。著書(いずれも共著)に『大阪名所図解』(140B)、『工場は生きている』『更地の向こう側-解散する集落「宿」の記憶地図』(以上、かもがわ出版)など。1976年神奈川県生まれ。多摩美術大学美術学部建築学科卒業。関西学院大学総合政策研究科修了(都市政策)。
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「阪急沿線 あの駅のこと」@140B
大阪の出版社140B(イチヨンマルビー)のwebページで2022年11月より連載開始。2008~16年の8年間、阪急電鉄の沿線情報紙『TOKK』に各駅をイラストで紹介する「阪急沿線 ちょい駅散歩」という人気連載があった。当時の編集担当者と絵師のコンビが再び同じ駅・同じ街を歩いて、目に映る駅前風景を時間の経過も切り取りながら紹介していきます。
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