昭和・令和の『元町』ビフォーアフターを写真で比較!神戸の街並みはどう変わった?

昔の神戸の景色、覚えてますか?

自分や家族、友人の写真を撮ることはあっても、その時々の「普通の街並み」の写真って意外と残っていないんじゃないでしょうか。

神戸市や兵庫県はそういった街並みなどの写真を所蔵・公開しており、その中には「明治ごろ」のものもあるんです。

写真を見れば、街や人々の暮らしの様子など、身近な歴史をたどることができます。

今回は元町エリアの、「昭和」と「令和」を比較検証!

今も残る面影や、昔懐かしい景色など、ちょっとだけタイムスリップしてみませんか?

Index
・元町駅 周辺
・大丸神戸店 周辺
・大丸神戸店 屋上

元町駅 周辺

まずは、JR元町駅周辺です。


1974(昭和49)年7月
元町駅前(国鉄元町駅東口):国鉄元町駅東口から南(元町穴門商店街)方面を望む

現在のJR元町駅の東口のあたりから、海側を向いた写真です。当時は「国鉄」。

撮影時は1974年とのことで「約50年前」の写真ですが、これは見ただけでも結構どこか分かるんじゃないでしょうか。

画角的に、高架の上から撮影されたものだと考えられます。

渡ってすぐ「神戸堂楽器店」というお店の前に車が停まっていて、西方向に「歩道」がありません。

左上の赤丸のあたりには、よく見ると「三宮センター」という文字が見えます。

ロゴのデザインは変わりましたが、三宮センター街の入り口もほぼ同じ場所にありますね。

現在の「JR元町駅」高架の上から撮影したものがこちら。基本的な道路の構造などが変わっていないことが分かります。

先ほどの「神戸堂楽器店」があったところは、現在は「モスバーガー」などが入っているビルです。

正面に見える「元町穴門商店街」という看板が、形を少し変えて今でも残っていますね。今よりも商店街らしい雰囲気だったんでしょうか。


昭和(時期不明)
最も繁華なる商店街、元町通

次は「元町商店街」から、大丸神戸店の方向を見た写真です。

大丸神戸店が現在の場所に移設されたのが1927年(昭和2年)なので、それ以降の写真ということになります。

昭和初期、和服で生活している人がまだまだいる時代です。

通りの両側に設置された「スズラン灯」は、10メートル間隔で「約200本」設置され、光のアーチのようになっていたそう。

大丸までの距離を考えるとこのあたりでしょうか。現在はアーケードが設置されているため、見通すことはできません。

さすがにお店のラインナップはガラリと変わっていますが、「大いに賑わう商店街」という点は変わりないですね。

「スズラン灯」は今も形を変えて残っており、「各丁ごと」に違うデザインになっているそうです。

元町商店街を通るとき、ちょっと気を付けて見くらべてみると面白いかもしれませんよ。

大丸神戸店 周辺

次は、元町駅から少し離れて「大丸神戸店」の近くを見ていきましょう。


1972(昭和47)年
大丸前・オアシス道路2

大丸神戸店の山側すぐ、現在は「花時計線」と呼ばれている通りです。

「オアシス道路」と呼ばれていたのは、この時代の呼び名なのか、歩行者天国になったときの通称だったのか。

路上にテーブルを出してくつろいでいる様子は、今よりも自由な雰囲気を感じますね。

「元町商店街」東側出入口に向かって左のビル、「国際楽器新元町ビル」がそのままなのが分かります。「国際楽器」は今も3階で営業中。

現在ゲート上部にあるのは、1999(平成11)年に完成したステンドグラス作品「ラ・ルーチェ」です。

それまではアーケード上部に「MOTOMACHI」と書かれたシンプルな装飾だったので、周辺のビルの増加をふまえても、印象の違いに大きな影響を与えているような気がします。


1971年6月
大丸北側

同じ通りで、反対側を向いたものがこちら。

路上にチョークで落書きしているのも、今ではなかなか見られない光景です。

よく見ると道路わきに「車選開放日」という看板のようなものが設置されているので、こんな風に自由に路上で遊べるのは当時も珍しかったのかもしれませんね。

植え込みがあり少し見えにくいですが、当時も恐らくタクシー乗り場として使われていた「ひさし」の場所がほとんど変わっていません。

大丸のすぐ山側のお店の並びにあった「屋根」は、今は取り外されています。

写真左側にある「服部眼鏡店」は、店名を「服部メガネ」に変更して現在も営業していますよ。

大丸神戸店 屋上

1927年(昭和2年)に、現在と同じ場所に移設され開店した「大丸呉服店神戸店」。

翌年の1928年に「株式会社大丸」に商号を改めています。

神戸・旧居留地を象徴するような、美しい建築の百貨店を見ていきましょう。


1927(昭和2)年
元町に近接して街頭に聳ゆる大丸呉服店

写真を見る限り、当時は6階建て+屋上ぐらいでしょうか。

モダンな作りの本館は、建築家・村野 藤吾によって設計されたものです。

しかし1995年の阪神・淡路大震災で、当時の建物は大きく損壊してしまいました。

現在は、10階建て(屋上含む)となっている大丸神戸店。

被災した本館を解体し、1997年に今の姿となりました。特徴的なカーブは、初代本館を踏襲しているのが分かりますね。

「東洋一美しい百貨店」と呼ばれることもあり、旧居留地にふさわしい風格ある佇まいが有名です。


1956(昭和31)年
大丸屋上からの北西の眺め

当時の「国鉄」の線路が見えています。中心を南北に走っているのは「鯉川筋」にあたる道路です。

大丸神戸店が周辺でいちばん高い建物なので、視界を遮られることなく見通しは抜群。

屋上にある何かの設備の上から撮影されたものなんでしょうか。

遊具などが設置された小さな「遊園地」になっていて、子どものころの思い出の地となっている人も多いと思います。

現在は街中に大きなビルが建ち、昔と同じ景色は見ることができません。

赤い丸をつけているあたりに、JRの高架が見えています。

現在屋上に出られるのは、10階「山の見える広場」と8階「みどりの広場」。こちらの写真は10階から撮影したものです。

10階の屋上は現在こんな感じ。遊園地があった時代を知っている人は、少し寂しく感じるかもしれません。

屋上から景色を眺めると、より街の進化を感じるような気がします。

まとめ

いかがでしたか?同じ場所の写真を見比べると、街がいかに変化しているのかがよく分かりますね。

道路や建物など「ここ全然変わってへん!」という場所もあれば、「全然雰囲気違うな~」というところもあったかと思います。

そんな中でも、山と海が見渡せる神戸の景色は、変わらないままであってほしいものです。

 

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ふうか

基本どこへ行くのも徒歩で移動します。

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8 件のコメントコメントを残す
  • 匿名さん

    JR元町駅東口の横断歩道のところが神戸堂楽器店だったのか、もうすっかり忘れていた。神戸ヤマハ、ロッコーマン、国際楽器と元町商店街の楽器店は巡回コースだったのに、なぜか神戸堂楽器は記憶にないな、結局国際とロッコーマンでギターを買った。国際はGuildギターを多く取り揃えていたが人気は出なかった、取り扱い商品の選択を失敗したかな。国際楽器の1Fは手狭で落ち着いて試奏できないのも原因だろう。映画ブラックレインの撮影ロケの時もこの近くに居た。映画で自分が映っていないか確認したがダメでした(笑

    大丸前の歩行者天国といえば、高校の頃にアリスの路上ライブがあったな。まだ2人組の頃でGibson J45をチューニングするベーヤンと何か世間話をした記憶がある。チンペイさんは黄色い声の女の子に取り囲まれていて近づけず(当然の役割分担 笑)大丸の屋上遊園地の記憶は噴水式のオレンジジュース販売機かな。

    その昔、渋い美術催事が光る三越神戸店やサトー・ブラザースなど元町商店街の西側も記事で取り上げて欲しいね。

    2023年1月12日8:57 PM 返信する
  • mingus

    懐かしいです。直ぐに私の場合は、食べ物の話しになります。大丸の大食堂て、お子様ランチを食べた思い出が残っています。食事のチケット(硬い紙)を買、席に案内されますが、窓際だと、元町駅、商店街等がよく見えて嬉しかったのを覚えています。家族全員おめかしして、百貨店の大食堂ええな(^_^)。高校生の頃に父と屋上階段上がり切った所に、明石焼き屋さんがあって、出汁に三つ葉は入ってなんて、美味しいと。

    2023年1月12日3:26 PM 返信する
  • mingus

    百貨店と、ゆうと大食堂、大丸の大食堂の前で、食事券、硬い紙の。私ぐらいの年齢しかわからない?笑。省線(JR)の切符も厚紙でした、お子様ランチの国旗がほしくて、家族で百貨店てんの食堂に行くのが、社会デビューな感でした。家族全員おめかしして、凄くワクワクしたのを覚えています。それと、高校ぐらいの時に、父と遊びに行った帰りに、小腹が空いたので、屋上の階段上がりきった所に、明石焼屋さんがあって、あの出汁に三つ葉が入って、美味しいなと。

    2023年1月12日3:07 PM 返信する
  • こたく

    懐かしいですね。
    大丸神戸店は「だいまる こうべみせ」って言うんですよ。
    「こうべてん」じゃないの?って思いますよね?
    他にも、心斎橋店「しんさいばしみせ」とか。
    古風で良いですよね。
    また行きたいなぁ。

    2023年1月12日11:45 AM 返信する
  • とおる

    元町駅の北側に住んでます。現在もですが。神戸堂楽器、懐かしいです。大丸は当時も7階建てでした。叔父が大丸に勤めていて、遊び場でした(申し訳ない)
    記憶はおぼろげですが、大食堂を抜けると写真の場所だったかと。
    屋上は大食堂の上で、乗り物がいっぱい有りました。あの大事故で、全て撤去されてしまいましたが。エレベーターの扉は蛇腹式でした。懐かしい写真有り難うございます。

    2023年1月12日8:51 AM 返信する
  • landno17

    鉄道浜側の鯉川筋は最初大きく弓形になった細い通りで今の様に南を見通せなかった。今と全く違う景色は想像しにくいかもしれない。

    2023年1月12日1:00 AM 返信する
  • Kageyan

    1971-1974年っていうと、自分は中学生から高校生の時代。当時、兵庫区平野というところに住んでて、中学生から高校生にかけて、チャリンコで新開地や、三宮とかに行ってた頃。元町駅前はあまり記憶はないけど、センター街や、三宮市場(今はセンタープラザ地下)の近所の、山田サイクル(自転車屋)によく行ってた。

    2023年1月11日5:20 PM 返信する
  • G

    >路上にチョークで落書き…
    チョークではなく蝋石だと思いますヨ

    2023年1月11日5:15 PM 返信する