
かつて「東洋一の高さ」「日本三大望楼の一つ」といわれた塔が、兵庫区にあったのを知っていますか?
名前は『神戸タワー』。新開地商店街のすぐ近くにあった展望塔です。建てられてから撤去されるまでの44年間の歴史と、跡地の今の様子をご紹介します!
神戸市兵庫区荒田町1-20-1

画像:大正時代の湊川新開地(ヒョーゴアーカイブスより)
湊川の付け替えによって旧湊川河川敷に新しい土地が生まれたのは、明治38(1905)年のこと。現在の湊川公園から東川崎町あたりまで続くこの帯状の土地は「湊川新開地」とよばれ、その後急速に発展していきます。
この新開地のシンボルの一つであった『神戸タワー』は新開地商店街のすぐ近く、現在の湊川公園内に建っていた塔です。大正13(1924)年に建てられ、当初は「新開地タワー」と呼ばれていました。

画像:KOBE みなとがわ|湊川パークタウン・湊川商店街・中の筋商店街 公式サイトより
高さは90m(海抜100m)もあり、東洋一の高さを誇っていたそう。浅草の凌雲閣・大阪の通天閣とならんで、日本の三大望楼とも称されました。
入場料を払ってエレベーターで最上階へ昇ると神戸市内はもちろんのこと、晴れた日には淡路島から大阪・和歌山方面まで眺めることができたんですって。

画像:ヒョーゴアーカイブスより
建設当初のタワーは飾り気のないものでした。しかし昭和になってからは、上の写真のように塔の壁面に「広告」が掲げられるようになります。
このうち昭和9(1934)年に完成した阪神電車のネオン広告は工事費が2万円で、ネオンに使う電気代が毎月1,200円だったそう。総理大臣の給料が月額800円という時代ですから、三宮までの地下鉄工事が完成したばかりの阪神電車にとってはかなり高額な広告料だったのではないでしょうか。
新開地名物となったネオン広告は夜の公園を真昼のように照らし、和歌山県と淡路島の間を結ぶ紀淡海峡からも広告の光を見ることができたといいます。

画像:ヒョーゴアーカイブスより(1960年)
タワーは戦時の空襲によって壊れることは免れたものの、建材の劣化によって倒壊の恐れが出てきたため、1968(昭和43)年に神戸市によって撤去されてしまいます。
上の写真は撤去の8年前である1960(昭和35)年に撮られたものなんですって。写真の持ち主は次のようにコメントしてます。
1965年に亡くなった祖父が、生前に撮っていた写真です。
今の北区在住だったので、「神戸へ行く」と言えば、湊川・新開地。そんな「よそいき」のたびに、いつもこのタワーを見上げていました。
タワーが建てられてから撤去されるまでの44年間、タワーは神戸の人々に愛され続けたんですね。
ちなみにメリケンパークに「神戸ポートタワー」が建てられたのは1963(昭和38)年。そこから神戸タワーがなくなるまでの約5年間は、神戸のシンボルといえるタワーが「2本」同時に存在していたことになります。

現在、湊川公園の中には「カリヨン時計塔」が建っています。
この時計塔は、かつて同じ場所にあった神戸タワーを模したもの。側面にはかつてのタワーの写真も飾られています。

時計塔は1985(昭和60)年に、湊川公園周辺地区の活性化の一環として建設されたそう。タワーの撤去から17年後のことですね。
8mの高さがあり、4個のベル(カリヨン)が備え付けられた造りとなってます。

平成17(2005)年には、新開地の生誕100周年を記念して、湊川公園で1万本のランタンによって長さ70mの神戸タワーが描かれたことも。
神戸タワーが撤去されてから今年で58年になりますが、その存在や歴史はこれからも受け継がれていきそうです。
◆関連リンク
・KOBEの本棚 第60号 – 神戸市










































文中の昭和53年は、
昭和35年の間違いですね!
ご指摘ありがとうございます。修正しました。
その神戸タワーの下には釣り堀もありましたよ。
湊川トンネルの上には遊園地もあったし、野外音楽堂もありました
遊園地には射的やミニ列車の遊具があったのは確か。メリーゴーランドは
あったか無かったか?
野外音楽堂は神戸まつりの時、ロックコンサートをしていた
日本が誇るブルースバンド、ウェストロード・ブルースバンドが
ライブを演った