場所はココ↓↓
佐賀県生まれで京都大学を卒業後、内務省に入省してキャリアをスタートさせています。
土木系の仕事に多く携わり、56歳になった1945年(昭和20年)に神戸市の局長、復興本部長、神戸市助役を務め、58歳になった1947年(昭和22年)に神戸市長選挙に出馬するも落選しています。
59歳の1948年(昭和23年)に参議院議員に当選しましたが、60歳になった1949年(昭和24年)神戸市長に再度挑戦し当選。その後、1969年(昭和44年)まで5期20年80歳まで市長を務めた鉄人なのであります!「原口忠次郎顕彰会」が建てた像のようですが、「顕彰会」ってのは支援者の会みたいなところでしょうか!?
「株式会社神戸市」と呼ばれ、山を削った土で海面を埋め立ててポートアイランドなどを整備し、山を削った跡をニュータウンなどとして開発する事業(「山、海へ行く」と呼ばれた事業)を行いました。六甲山トンネルを含む六甲有料道路、神戸ポートタワー、神戸高速鉄道、さんちか(地下街)等の事業の実施などにも行政手腕を発揮したんです。
現代では、「地主の土地買収交渉」「議会とのコンセンサス」「民間との立ち位置の違い」などからなかなか難しいかもしれませんが、戦後復興や高度経済成長など時代にフィットして数々の土木事業を行ったということなんでしょうか。
いずれにせよ、原口忠次郎(はらぐち ちゅうじろう)元市長が神戸の礎を築いた1人であることは間違いありません。
神戸に関する写真(フォト)投稿を求めています!
株式会社神戸の人か!
これは知らなかった、今度見に行ってみよう。