「いくたさん」の愛称で親しまれる三宮の『生田神社』。130万人が参拝するという初詣の「賑わい」のイメージがありますが、ゆっくりお参りしてみると、いろいろなご利益と発見がありそうです。
そんな「生田さん」の全貌をご紹介します。
もくじ
● 1800年のご由緒と生田神社
● 境内を歩く。ついついパシャっと「フォトスポット」
● 悠久のときが流れる「都会のオアシス」と「水みくじ」
● 縁結びを願う。「お守り」っぽくない「お守り」も
● 施設情報
神戸市中央区下山手通1-2-1
『生田神社』があるのは、各線三宮駅の山側で、最も近いのは、地下鉄。「東急ハンズ」が、すぐ目の前です。
東を向くと「東門街」への看板が見えてます。『生田神社』の「東門」がある通りで「東門街」、です。
「東門街」沿いにある鳥居は、こんな感じ。さらに奥に朱色の「東門」が建ってます。
「西門」は、駐車場の入り口になってます。
40~50台ほどスペースが利用可能ですが、年末年始は出店の場所になったり、七五三シーズンの週末など混み合う時期は、一般の利用ができない場合もあるそう。最初の1時間500円。それ以降は、10分で100円追加。
南北に長い敷地で、「西北門」は、山手幹線からすぐのところなので、けっこう奥行きがあります。
『生田神社』と一言にいっても、本殿含めて15のお社があって、19の神様が祭られてます。
主祭神は、稚日女尊(わかひるめのみこと)で、「健康長寿」や「生業守護」の神様。「機織り」をする女神なので、糸をつむぐ…縁をつむぐ「縁結びの神」としても親しまれてます。
「生田神社」のはじまりは西暦201年、当初は砂山(いさごやま※今の布引あたり)に祭られていて、川の氾濫被害がきっかけで、799年に今の場所へうつってきたと伝えられてます。
その7年後、当時の朝廷が「生田神社」のお世話をして守る家「神戸(かんべ)」44戸をおいたことが、現在の「神戸(こうべ)」の地名の由来とも。
どういったタイミングで、たくさんの神様が祭られるようになったのか分からないそうですが、明治時代には、すでに現在と同じでした。
白木の鳥居をくぐり、境内に入ると見える赤い大鳥居。その手前にも2つの神社があります。
海での安全を守る「大海神社(だいかいじんじゃ)」と、お酒の神様を祭る「松尾神社」。
「松尾神社」の前には、『灘五郷酒造の発祥地』という石碑。
古代、朝鮮の偉い人が来た時に、生田神社の神職が作った「神酒」でもてなしたのが、灘の酒のはじまりと言われているそうです。
拝殿にたどり着く前に、神社に遭遇することになるわけですが、基本的には、まず「拝殿」でお参りをして、それぞれの神社へという順路がいいそう。
手や口を清める「手水舎(てみずや)」も拝殿に向かう門の手前に。
拝殿へは、大きな「楼門」をくぐっていきます。7段ほどの階段がありますが、西側にスロープも設置されているので、車いすやベビーカーでも安心してお参りへ。
拝観料は不要。
門の左手は「お守り」や「絵馬」など、右手は「祈祷」の受付と「おみくじ」を扱う建物です。
こちらが、「拝殿」。1995年の阪神大震災の時に倒壊してしまい、建て直されました。
今の場所へうつって1200年以上、戦災や災害で被害にあい、その度に再建されているので、何代目の建物かは不明。ただ、それだけ厚く信仰されてきたということです。
見た目には、伝統的な社殿建築といった感じですが、震災当時の神職が「最新の耐震工法」を取り入れ、災害に強い「耐震神社」になっているそう。
平日の午前中ですが、参拝の人は、途切れることのない感じでした。
「拝殿」に上がると奥に黒塗りの扉のある「本殿」が見えます。「本殿」は神様がいらっしゃる場所なので、入ることはできません。
「ご祈祷」をお願いすると、「拝殿」の中へ。たくさんの椅子が並んでいますし、会社や団体でご祈祷を受けることも多いようです。
「拝殿」と「本殿」が回廊でつながっているのが、生田神社の1つの特徴。
生田神社の社殿は、鮮やかな「朱色」が特徴ですが、これは、平安時代に唐(中国)から「魔よけの色」であるという文化が入ってきて「朱色」になったそう。
何十年といった単位で塗り替えが行われますが、震災後20数年、まだ塗り替えていないので、「そろそろかなぁ」という話も出たり出なかったり…
青空の下で見ると、その鮮やかさが際立ちます。まだまだ大丈夫そうな気も。
さて、拝殿へのお参りのあとは、「都会のオアシス」もある境内を歩きましょう。
生田神社のことを調べていたんですけど、この記事はとても参考になりました。ありがとうございます。あと、わがままを言いますが、異人館のことを調べてもらえると幸いです。