阪急沿線 あの駅のこと Vol.5『甲陽園駅(甲陽線/西宮市)高台の街で、戦争のない世を想う。』

 

 阪急夙川駅を発車した電車は、夙川沿いをゆるやかにカーブしながら甲山(かぶとやま)に向かってのんびり走り、たった5分で終点の甲陽園駅へ到着する。西宮市北部のこのエリアは、大阪で財を成した経営者たちが大正時代から邸宅を構えた「西宮七園(ななえん)」の一つでもある。ちなみに、残り六園は、甲子園・甲風園・甲東園・苦楽園・香櫨園・昭和園だ。

 高級住宅街のイメージとはいい意味で違った、簡素な駅舎を出て右へ1分ほど歩くと[ケーキハウス ツマガリ甲陽園本店]がある。喜ばれるおつかい物として阪神間で不動の人気を誇る洋菓子店。周囲にいくつもツマガリの工房があり、さながら“ツマガリ村”といった様子。オーナーシェフ・津曲孝氏の厳選した素材と丁寧な手作りへのこだわりから、梅田と神戸の大丸にある店舗では生菓子を扱っておらず、ケーキやシュークリームが購入できるのは、ここ甲陽園本店だけなのだ。

 少し歩き、TOKKで取材した蕎麦処[甲陽園 喜庵(よろこびあん)]を左折して、閑静な住宅街の急坂を10分ほど「アンネのバラの教会」目指して上ってゆく。綱本さんは軽快に歩いていくが、私は息が切れてしまう。汗をかき、もうダメだ、休憩したいと思ったその時に、レンガ造りのバラ園と可愛らしい教会が現れた。

 ナチス・ドイツのユダヤ人迫害から逃れ、隠れ家で『アンネの日記』を書き続けたアンネ・フランク(1929-45)。わずか15歳で命を落とした少女の平和を求めるメッセージは、父親であるオットー・フランク氏(1889-1980)によって1947年に出版され、世界中で読まれるようになった。遠く離れた日本の西宮にあるこの教会とアンネには、どんなゆかりがあるのか紐解いてみることにした。

 

バトンを受けたのは自分かもしれない

 1971年のある日、イスラエルを演奏旅行中の「聖イエス会 しののめ合唱団」の一員だった大槻道子さんが、オットー氏と偶然出会ったことから物語は始まる。

 聖イエス会は、大槻道子さんの父・大槻武二氏(1906-2004)が、戦後間もない1946年に創立。1971年に平和事業の一環として、嵯峨野教会の聖歌隊を母体に、各地の聖歌隊から選抜された「しののめ合唱団」を創設した。平和を願う歌を届けるため、世界各国へ何度も演奏旅行に赴いたが、その初年度に、オットー氏との出会いがあったのだ。イスラエル・ナタニアのレストランで食事を取っていた合唱団に、一人の紳士が「私は世界で最も平和を愛する者の一人。アンネ・フランクの父です」と話しかけたという。合唱団はとても驚いたが、割れんばかりの拍手でその出会いを祝福した。

 アンネと同年代であり、『アンネの日記』を愛読していた大槻道子さんが代表として手紙を書いたことで、オットー氏との交流が始まった。すると、1972年のクリスマスに、オットー氏から「アンネ・フランクの形見」という名のバラの苗木が届けられた。その苗木を大切に育てて増やし、平和を願って全国へと届けるうちに、その心を次世代にも受け継ごうという機運が高まり、アンネの生誕50年を記念して「聖イエス会 アンネのバラの教会」の建築が決まった。

 高台から穏やかに街を見晴らすこの地が選ばれ、1980年に献堂。教会の完成をとても喜んだオットー氏からは、貴重なアンネの遺品や写真などが贈られた。今も併設する資料館で大切に保管され、見学することができる(要予約)。そして、アンネの形見のバラは、バラ園で毎年きれいなサーモンピンクの花を咲かせ、そっと平和を伝え続けている。

 一人の少女が綴った文字が世界に平和を訴え、友情で結ばれた手紙が、この場所を作った。文字の持つ力は、時も距離も超える。なんて強いんだろう。世界で戦争はいまだ終わらず、もしアンネの日記が続いていたら、何を綴ったであろうか。オットー氏が「最もアンネらしい」と語ったという、バラ園に佇むアンネ像は、心なしか物憂げな表情に見えた。

 

◯参考資料
アンネのバラの教会
聖イエス会のホームページ(大槻道子さん著)
黎明(しののめ)聖歌隊(嵯峨野教会)
聖イエス会 ソフィア教会(合唱団とフランクさんの出会い)
アンネのバラ  その由来と日本伝来のルート(事実の研究)
広島平和公園の記念のバラ(バラの特徴)
高橋数樹著「アンネ・フランクのバラ」(アンネの意志を継いだ人びと)/出版文化社

 

文/松本 有希(まつもと ゆき)
神戸をこよなく愛する編集者&ライター。某電鉄系フリーペーパー編集部に在籍した後、2020年から株式会社神戸デザインセンターへ。興味ある分野は食べ歩き、街歩き、ゲーム、鉄道、阪急、旅行、手紙。1977年兵庫県生まれ。神戸女学院大学卒業。
Twitter

絵/綱本 武雄(つなもと たけお)
「手しごと舎 種」にてイラスト、編集、造形制作などを手がける。「プラモ尼崎城」発起人。著書(いずれも共著)に『大阪名所図解』(140B)、『工場は生きている』『更地の向こう側-解散する集落「宿」の記憶地図』(以上、かもがわ出版)など。1976年神奈川県生まれ。多摩美術大学美術学部建築学科卒業。関西学院大学総合政策研究科修了(都市政策)。
Twitter

「阪急沿線 あの駅のこと」@140B
大阪の出版社140B(イチヨンマルビー)のwebページで2022年11月より連載開始。2008~16年の8年間、阪急電鉄の沿線情報紙『TOKK』に各駅をイラストで紹介する「阪急沿線 ちょい駅散歩」という人気連載があった。当時の編集担当者と絵師のコンビが再び同じ駅・同じ街を歩いて、目に映る駅前風景を時間の経過も切り取りながら紹介していきます。
Twitter(阪急沿線 あの駅のこと)Twitter(株式会社140B)株式会社140B 公式サイト

 

この記事を書いた人

ゲストオーサー

ライター一覧

コメントを残す

日本語が含まれないコメントは無視されます。コメントは承認後に表示されます。良識のあるコメントを心がけ、攻撃的な表現や他人が傷つく発言は承認されません。