阪神深江駅の海側にあった国の登録有形文化財『古澤家住宅』が解体されてなくなってた。「深江文化村」の建造物

ライター:かな

阪神深江駅から徒歩15分ほどの「深江文化村」にあった、国の登録有形文化財『古澤家住宅』が解体され、なくなっていました。


神戸市東灘区深江南町1‐3‐29

「深江文化村」とは、阪神深江駅から南東に15分ほどの場所にあった、13軒の洋館が建ち並ぶエリアのことです。

今回取り壊された『古澤家住宅』のすぐ東側にある「神楽町公園」の前には、「深江文化村」に関する説明書きがありました。

大正から昭和にかけて、この辺り一帯には、ピアニストのアレクサンダー・ルーチン、指揮者のジョセフ・ラスカやエマヌエル・メッテルら、ロシア革命(1917年)の亡命者たちが住居していた。彼らを慕って多くの門下生が集まり、音楽を通した交流からは、朝比奈隆、服部良一、貴志康一、大澤壽人ら多くの日本人音楽かが生まれた。この地域が深江文化村と呼ばれる由縁である。
深江文化村は、関西で多くの西洋建築を手がけた米国人ウイリアム・ヴォーリズの弟子で、建築家の吉村清太郎によってデザインされた。敷地には十三棟の洋館が中庭の芝生を取り囲むように建てれられ、大正モダニズムを象徴する空間として知られたが、近年の宅地開発や震災により、今や2軒が現存するのみである。

「現存する2軒」のうちの1軒が、今回取り壊された『古澤家住宅』です。

かつては、芝生を囲むようにして13軒の洋館が建てられていたようです。

『古澤家住宅』があったのは「深江文化村」の北東端。赤丸で囲った急勾配の三角屋根が特徴的な建造物です。

1925年に建てられ、国の有形登録文化財にも指定されていました。

『古澤家住宅』のあった場所から西を向くと、こんな感じ。かつて「深江文化村」だったエリアには、すでに新しい家が建ったり駐車場ができたりしています。

『古澤家住宅』が取り壊されたことにより、「深江文化村」で現存する建造物は、エリア中央付近に位置する「冨永家住宅」のみとなりました。

青い外壁で瓦屋根から煙突がのびる和洋折衷な雰囲気の建物です。

こちらも国の登録有形文化財に登録されているそうですが、現在も住居として使用されているため、見学したい場合は外からそっと見る程度にしておきましょう。

 

この記事を書いた人

かな

観葉植物ペペロミアホープの日々の成長を見て癒されています。

ライター一覧

日本語が含まれないコメントは無視されます。コメントは承認後に表示されます。良識のあるコメントを心がけ、攻撃的な表現や他人が傷つく発言は承認されません。

2 件のコメントコメントを残す
  • みーこ

    何故取り壊された。記事には書かれていない。

    2023年11月17日11:56 AM 返信する
  • 保久良山の楓

    私の大好きだった「深江文化村」そして阪神モダニズム発祥の地と言える場所であります。多くの日本人音楽家を生み出し、宝塚歌劇団の成長にも寄与した深江文化村。

    1998年に登録有形文化財となった深江文化村ですが、有形文化財に登録されながら「何故破壊して更地にする事が出来るのでしょうか?」

    そして出来れば、更地になった写真を掲載するのでなくて「深江文化村を残す活動」が出来なかったのでしょうか! 

    2023年11月15日10:38 AM 返信する