1874年(明治7年) 、鈴木岩治郎が設立した鈴木商店を、砂糖から樟脳、ゴム、穀物、石油、海運など次々に手を広げ三井物産をしのぐほどにまで急成長させた番頭は誰?【神戸クイズ】

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今回のクイズをどうぞ。

 

 問題 
1874年(明治7年) 、鈴木岩治郎が設立した鈴木商店を、砂糖から樟脳、ゴム、穀物、石油、海運など次々に手を広げ三井物産をしのぐほどにまで急成長させた番頭は誰?

 

①金子直吉
②神田兵右衛門
③中上川彦次郎
④岡崎籐吉

 

正解は......

 

 

 ①金子直吉  です! 

問題提供:神戸商工会議所 第9回神戸学検定 初級 問34(平成27年)

 解説  金子直吉

高知県吾川(あがわ)郡名野川村の没落商家に生まれ、一時郷里で丁稚奉公をしたのち、21歳のとき神戸の鈴木商店に入店しました。

当主鈴木岩治郎の死後、未亡人よねの下で番頭として経営を担当し、非凡な企業者能力と積極的で大胆な事業拡大戦略とによって、一砂糖引取商にすぎなかった同店を日本有数の総合商社に育て上げると同時に、傘下に最盛時65社といわれる一大企業集団をつくりあげました。

特に、彼の事業拡大への意欲がもっとも成果をあげたのは第一次世界大戦時で、このとき鈴木商店は大胆に鉄材、船舶などの諸商品に思惑(おもわく)取引を敢行して、一挙に日本最大の取扱高を示します。

この時、金子は、著名な「三井、三菱と天下を三分する」という宣言を行いました。

しかし、彼のこうした拡大方針は大戦後、不況が長期化する中で行き詰まり、台湾銀行に過度に依存して事業を維持しようとしたため、1927年(昭和2年)の金融恐慌で同行が破綻すると、金融の途を断たれて鈴木商店も破綻し、傘下企業集団は分散を余儀なくされました。

その後、金子は鈴木商店の復活を図って再度種々の事業を展開したが、果たせないままに昭和19年病没。

最終的にはその事業経営は蹉跌(さてつ)しましたが、傘下から神戸製鋼所、帝人など、その後の日本経済に大きな位置を占める企業を輩出し、多数の有能な人材を育成したことで、彼の企業者活動は高く評価されています。

 

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1 個のコメントコメントを残す
  • 匿名さん

    戦前は鈴木商店、戦後はダイエーの急成長と破綻が神戸の経済史に刻まれている。

    2022年2月18日9:59 PM 返信する