北区にある、気になってた『鳥居』を調査【第八弾】丹生山に眠る古代の謎|神功皇后が求めた”丹”とは?──古代中国では仙薬とされた赤い土

ともみん

あの石の鳥居の向こうには、1800年前の女王の物語が眠っていた

子供の頃から気になっていた石の鳥居。

「あの鳥居の向こうには、何があるんだろう」

そんな小さな疑問から始まった調査は、想像をはるかに超える古代の物語へとつながっていきました。

第1~7弾がまだの人はお先にどうぞ。


丹生山の麓にある石の鳥居(神戸市北区山田町東下)

神戸市北区山田町、標高514mの丹生山

その頂には「丹生神社」がひっそりと鎮座しています。訪れるのは地元の登山者がほとんど。けれど、この山が秘めていたのは、ただの里山の歴史ではありませんでした。

そこに眠っていたのは、「赤い土」と「祈り」の物語。

それは、はるか1800年前にこの地で交わされた、『女神と女王の約束』にまで遡ります。

「丹生山田の里」に隠された謎

なぜこの地は「丹生山田の里」と呼ばれるのか。なぜこの山は「丹生山」なのか。

地元の人に尋ねても、その理由を明確に語れる人はいませんでした。

手がかりを求めて古い資料を調べるうちに、大正時代に編まれた『山田村郷土誌』に興味深い一節を見つけました。

「神功皇后が戦の出陣に際し、この地で採れた丹の土を船や武具に塗り、勝利を祈った。これが『丹生山田』の名の由来であると伝えられている。」

さらに、地域の総鎮守・六条八幡宮の御由緒にも、同様の伝承が残されています。

古代の女王がこの地の「丹の土」に特別な力を見いだし、祈りを込めた——。「丹生山田の里」という呼び名には、そんな物語が秘められていたのです。

伝説の女王が、なぜこの地に?


七社神社(神戸市北区山田町東下)

神功皇后(じんぐうこうごう)——

『日本書紀』『古事記』に登場する謎多き女王です。かつて日本の紙幣にその肖像が描かれていたことをご存じでしょうか?

『日本書紀』によれば、3世紀頃の人物とされています。伝説では、夫・仲哀天皇の死後に神の託宣を受け、自ら兵を率いて朝鮮半島へ遠征。しかも妊娠中だったと伝えられています。

戦後は神話上の存在とみなされてきましたが、近年では九州各地に残る伝承などをもとに「実在説」を唱える研究者も現れています。

そしてここ神戸でも、神功皇后の名は今も多くの神社の縁起に刻まれています。ただしその多くは「戦の後、凱旋した皇后がこの地に立ち寄った」というもの。

けれど、丹生山田の里に伝わる物語は少し違います。それは戦の前、この地で「丹の土」を授かったという伝説。

その源流は、千年以上前の地誌にありました。

風土記が語る「女神の赤土」


女神の神託を受けて赤い土を船と兵の衣に塗る神功皇后(AI生成)

奈良時代の地誌『播磨国風土記』。原本は失われていますが、鎌倉時代の『釈日本紀』にその一節が「逸文」として残されています。

「神功皇后が戦の前に祈ると、女神・爾保都比売命(丹生都比売大神)が現れ赤い土を授けてこう告げた。

『この土を天の逆桙に塗り船の前後に立て、船や兵の衣も赤土で染めなさい。そうすれば勝利が得られるでしょう。』」

その力により、魚も鳥も船の行き手を妨げることはなくなった——風土記は、そう記しています。

では、風土記が語る「赤い土」と、郷土誌に記された「丹の土」。その正体は一体何だったのでしょうか。

「丹」とは——古代人が祈った赤い鉱物


結晶質の辰砂(Cinnabar crystal)。写真:Rob Lavinsky, iRocks.com / Wikimedia Commons(CC BY-SA 3.0)

「丹(に)」とは、古代において赤い鉱物や顔料の総称です。

その中でも、特に神聖視されたのが「辰砂(しんしゃ)」でした。深い赤色を帯びた鉱石で、砕くと鮮やかな朱色の粉になります。中国では「丹砂(たんしゃ)」と呼ばれ、古代の人々にとって特別な意味をもっていました。

赤から銀へ、そして再び赤へ

この辰砂を火で熱すると、赤い石が銀色の液体に変わり、再び硫黄と合わせて熱すると、また赤い粉(辰砂)に戻ります。

現代の科学では、これは単なる化学反応だと分かっています。しかし古代中国の人々には、それがまるで「命が生まれ変わる」ような神秘の現象に映ったのです。

赤→銀→赤。色も形も変わりながら元に戻る――その不思議な循環に、人々は「再生の力」を感じました。

中国——命を賭けた「仙薬」


不老不死の夢に魅せられた古代中国皇帝のイメージ(AI生成)

古代中国では、この性質をもとに辰砂から不老不死の「仙薬」を作ろうとしました。

しかし、辰砂を長く服用すると体に悪影響を及ぼすことがありました。秦の始皇帝をはじめ、多くの王が「永遠の命」を求めてこの丹薬を長期間服用した結果、かえって命を縮めたと伝えられています。

日本——祈りとしての赤


高松塚古墳の女子群像(飛鳥美人)をイメージしたAI生成アート

一方、日本では、辰砂を飲むのではなく、塗ることで祈りを表しました。

古墳の石室や祭祀の場に朱を施し、死者の再生と魔除けを願ったのです。奈良県の高松塚古墳やキトラ古墳でも、辰砂が検出されています。

これは日本に古くからあった「赤=生命力・魔除けの色」という信仰と結びついたからでした。

(日本でも辰砂を薬として用いた例はありますが、中国ほど盛んではありませんでした。)

もうひとつの「丹」—— 大地が生み出す赤土

ただし、辰砂は限られた場所でしか採取できない貴重なものでした。そのため、辰砂が手に入らない地域では、代わりに鉄分を多く含む赤土(酸化鉄系)を用い、これも「丹」と呼ぶようになっていきます。

【丹の種類】

つまり、「丹」はもともとは辰砂を指す言葉でしたが、やがて地域や時代によって赤土(酸化鉄系)など多様な赤色顔料を含む言葉へと広がっていったのです。

辰砂も、赤土も——どちらも人々が信じたのは、赤に宿る『祈りの力』だったのです。

今も生きる「赤の祈り」


今も生きる「赤の祈り」を描いたイメージ(AI生成)

古代人が「丹」に託した祈りは、今も私たちの暮らしに息づいています。

朱い鳥居、祝いの赤飯、還暦の赤いちゃんちゃんこ、赤ちゃんの産着——。

赤は、魔を祓い生命力を呼び覚ます色として、時代を超えて受け継がれているのです。

「丹」を司る女神 —— 丹生都比売大神

さて、そんな「丹の力」を司る存在として、人々が信仰した女神がいます。それが、『山田村郷土誌』や『播磨国風土記』の伝承にも登場する、丹生都比売大神(にうつひめのおおかみ)です。


和歌山県かつらぎ町・丹生都比売神社

その総本社は、和歌山県かつらぎ町の丹生都比売神社。世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」に含まれる聖地であり、弘法大師・空海は高野山を開く際、この女神から土地を授かったと伝えられています。

そして驚くことに——

この総本社の公式ウェブサイトには、『播磨国風土記』に登場する「丹」の採取地として、神戸の丹生山の名が記されているのです(伝承候補地としての紹介)。

つまり、神戸の丹生山もまた、古代から「丹」と深く結びついた特別な山だったのかもしれません。

伝説を裏づける物証

冒頭で紹介した『山田村郷土誌』の神功皇后伝説。そこには、実はこんな続きがありました。

「そして今も実際に、丹生山には丹の土(赤い土)を産出する場所がある。」

その赤い土とは一体何だったのでしょうか。古代の人々が神聖視した希少な辰砂だったのか。それとも、ただの鉄分豊かな赤土だったのか。

昭和の調査記録には、この伝説が「ただの物語ではなかった」ことを示唆する、ある事実が報告として残されていました。

その事実とは一体?[続きはこちら(note記事)]本記事は地域に伝わる言い伝えや記録をもとに、地元の視点から独自に考察した読み物です。

◆参考文献
・『播磨国風土記』逸文(『釈日本紀』に伝わる内容)
・『山田村郷土誌』(大正時代編纂)
・『山田郷土誌 第二篇』(昭和54年)
・『西摂大観 郡部 武庫郡北部』(昭和40年刊)

【取材・文】ともみん
神戸市北区の地域情報を中心に執筆し、不定期で投稿している神戸在住のライターです。
大学卒業後は、大阪・東京・アメリカ・カナダと移り住んだのち神戸へ帰神。やっぱり神戸が落ち着く。
国内の自然を巡るひとり旅にもハマり中で「ともみんタビ」というYoutubeチャンネルで旅Vlogも配信しています。

 

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