阪急沿線 あの駅のこと Vol.1『門戸厄神駅(今津線/西宮市)30年後に歩いたJの道、Sの道』

 

 西宮北口から阪急今津線でひと駅。学生時代の10年間、この駅を利用していた私は、先頭車両が一番改札に近いことを知っている。ホームに下りると、ふわっと包まれるパンの香り。ホームにピッタリ隣接して建つ[ハウネベーヤー]からだ。昔は[カスカード]といって、登校時のお昼ごはんや下校のおやつにお世話になっていた。変わらない香りに安心して改札を出ると、そこにあったはずの売店がない。

[ラガールショップ]が[アズナス・エクスプレス]に変わり、2021年に阪急の駅ナカコンビニがすべてローソンに置き換わった時に、淘汰されたのに違いない。お菓子とジュースの自販機、証明写真の自販機だけが、まるで昔からそこにあったかのように佇んでいた。新聞や阪急電車のカレンダーを売っていた、あのおばちゃんはどこにいったんだろうか。

 駅前に目を移せば、おなじみの横長のマンションが壁のようにそびえ立つ。一番線路側にあった[スプーンハウス]は、[Nagasakiya Coffee Roaster]に変わっていた。「最近ロースター多いですね」と綱本さんと話しながら、少しメニューを眺めて歩き出す。

地元の人がうらやましい「新名所」

 2008年の『TOKK』連載1回目にこの門戸厄神駅を選んだのは、企画した私が、阪急全駅で最も馴染みの駅だったことと、よく特集などでも取り上げられるターミナル駅ではない、ローカルな駅にフォーカスを当てたいという理由だった。門戸厄神駅はまさに、用事がない限りは降り立つことのない駅の一つだろう。降りたことのある人は、神戸女学院に用事があるか、門戸厄神「厄除け大祭」へのお詣りがほとんどだと思う。

 かつて『TOKK』で掲載したお店はどうなっているだろう。[pizzeria tricera]が入っていたビルは工事中の網がかかっていた。お店もなくなってしまったのかと思いきや、お隣の駅・甲東園へ移転して[トリケラ デュエット]として健在。3人のシェフが関わっていたのが、2人になったのかな……などと想像してみた。あの窯焼きピッツァが今も食べられると分かってひと安心。

 もう少し進んで、ペンギンに会えるダイニングバー[Arekey]へ。80年代風のペンギンイラストの看板を発見し、綱本さんと思わず笑顔に。残念ながらお休みでペンギンとの再会はかなわなかったが、街に根付いて営業を続けてくれて、ありがとうと言いたくなった。ちなみにこちらも甲東園に2号店を出店。健康的にカジノゲームを楽しむバーとして、学生の憩いの場となっている。

 2店の消息を訪ねる途中、「門戸寄席」という気になる店があった。調べてみれば、近くの居酒屋で月1回の落語会を開いていた夫婦が、2020年11月に、常設小屋としてオープン。週末の落語会を中心に開催しているという。こんな住宅街に寄席があるなんて、ユニークだ。徒歩で生の落語を聞きに行ける、近所の方が羨ましくなった。

“神秘のベール”と人は言うけれど

 駅の方へ戻り、門戸厄神駅の2大スポット、神戸女学院と門戸厄神を目指す。神戸女学院は、中学・高校・大学・大学院が同じ岡田山という小高い丘に集まっているが、近隣に配慮して通学のにぎわい(やかましさ)を分散するためか、駅からの通学路が3ルート設定されている。中学はJ(Junior High School)、高校はS(Senior High Scool)と呼ぶのにならって、校内では「Jの道」「Sの道」などと呼んでいた。

 入学当初、通学路で大層驚いたのが、肥やしとネギの匂いのする畑の道を通ることだった。駅から歩いて5分とかからない場所に、広々と畑が広がり、農業が営まれている風景は、都会育ちだった私には衝撃の光景だった。それから30年が経ち、どうなっているか少し不安な気持ちで通ってみると、まだまだ現役! マンション用地に売ってくれ、という声も当然掛かったであろう状況で、畑を守っている持ち主の方に、心の中で感謝。

 落ち着いた住宅街の中、懐かしい家の並びに記憶を刺激されながら15分ほど歩く。綱本さんは「本当に普通の住宅街の道が通学路なんですね」と驚いていた。私が卒業してからも、TOKKで取材に訪れてからも、約30年間変わらず同じ表札でそこに家があるということ、ずっと暮らしが続いていたこと。今だから分かるその重み。

 そんなことをぼんやり考えていると、家並みが途切れ、神戸女学院の正門が現れた。門のほかには、ゆるやかに続く坂道と繁った木々しか見えず、校舎は一つも見えない。神秘のベールに包まれているようなザ・女子校の佇まいだが、毎日何も考えず門をくぐりベールの内側にいた身としては、校内にはそんな神秘性などどこにも無いことを知っている。あるのは、普通の女の子たちが自由でのびのびとした学校生活を送る学び舎だ。

 神戸女学院は、明治8年(1875)に2名のアメリカ人女性宣教師によって神戸で開学し、昭和8年(1933)に岡田山へ移転、W.M.ヴォーリズが設計を手掛けた。妻である一柳満喜子(ひとつやなぎまきこ)の母校だったこともあり、思い入れをもって設計にあたったヴォーリズは、「建物それ自身が生徒の上に積極的影響を及ぼす」という理念を持っていたという。彼が設計した、当初17あった建物のうち太平洋戦争や阪神・淡路大震災を経て守り継がれた12の建築物が、平成26年(2014)に国の重要文化財に指定された。女子校であるがゆえに、気軽に見学というわけにはいかないのが残念だが、一般向けの見学ガイドツアーも復活したので、再開を待ちたい。

厄除けもエンタメだった

 大トリはもちろん、門戸厄神 東光寺へ。あらゆる厄を払うという厄神明王を祀り、日本三体厄神のうちの一つ。毎年1月18日・19日に行われる「厄除け大祭」には数万人もの参拝者が訪れ、周辺には露店も数多く立ち並んで、静かな街が一変し、大いににぎわう(2021年以降は露店の出店は自粛されている)。TOKK取材時から、境内はほとんど変わっていないが、同寺周辺に参拝客用の駐車場や駐輪場が多数整備されていたのに驚いた。このご時世に寺域を拡大しているお寺があるとは。

 そして、一番目を引いたのが、2020年に完成した厄神龍王の陶板壁画。なんと長さ30メートル!なんとなくゲームの世界っぽいタッチだなと思っていたら、『ファイナルファンタジー』のコンセプトアート制作にも携わった、内尾和正の手によるものだった。繊細で流麗に描かれた迫力の画面には、龍のほかにも、獅子・象・宝珠などが描かれている。厄除開運の祈りを込めて描かれた現代アート。お寺に現代アートというのは異色だが、境内にあった、厄年判定QRコードやおみくじガチャガチャなども含めて、時代を巧みに取り入れる、実に門戸厄神らしい作品だ。
 この長い長い連載企画の成功をお祈りし、ついでに家族の厄除けも祈願して古刹を後にした。

 

文/松本 有希(まつもと ゆき)
神戸をこよなく愛する編集者&ライター。某電鉄系フリーペーパー編集部に在籍した後、2020年から株式会社神戸デザインセンターへ。興味ある分野は食べ歩き、街歩き、ゲーム、鉄道、阪急、旅行、手紙。1977年兵庫県生まれ。神戸女学院大学卒業。
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絵/綱本 武雄(つなもと たけお)
「手しごと舎 種」にてイラスト、編集、造形制作などを手がける。「プラモ尼崎城」発起人。著書(いずれも共著)に『大阪名所図解』(140B)、『工場は生きている』『更地の向こう側-解散する集落「宿」の記憶地図』(以上、かもがわ出版)など。1976年神奈川県生まれ。多摩美術大学美術学部建築学科卒業。関西学院大学総合政策研究科修了(都市政策)。
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「阪急沿線 あの駅のこと」@140B
大阪の出版社140B(イチヨンマルビー)のwebページで2022年11月より連載開始。2008~16年の8年間、阪急電鉄の沿線情報紙『TOKK』に各駅をイラストで紹介する「阪急沿線 ちょい駅散歩」という人気連載があった。当時の編集担当者と絵師のコンビが再び同じ駅・同じ街を歩いて、目に映る駅前風景を時間の経過も切り取りながら紹介していきます。
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  • 弦猫

    スプーンハウスが変わってしまいましたが、昔は長崎屋とかいう名前だったかと思います。Nagasakiyaが店名の一部になり少し復活した気分です。私、このライターさんより少し上で小学校1年生まで門戸に住んでいました。また、大学のみ神戸女学院で4年間寮生活を送っていました。
    現在は西宮市内に住んでいますが、JRより南ですから、中々行く機会もありませんが…

    連載の第一回目に門戸厄神駅を取り上げてくださり、すごく懐かしく感じております。ありがとうございました。

    2023年2月28日3:31 PM 返信する