新港町の「海軍操練所」跡の現地説明会が開かれたので、見に行ってきました。
神戸市中央区新港町
水族館「アトア」のすぐ山側で行われていた発掘調査で、勝海舟が作った「海軍操練所」と思われる「遺構」が発見されたと昨年末に発表されていました。
概要については、以前の記事でご紹介してます。
1月13~14日に行われた現地説明会には、各回たくさんの人が訪れ追加募集なども行われていたようです。
現地では、発掘を担当した文化財課の人たちが説明をしたり質問に答えてくれたりします。
今回の発掘現場を西側から見てます。ここに、幕末期から明治時代にかけての神戸港の変遷が分かるものが見つかったとのこと。
この一角がこの時代とくっきり分かれているというより、次の時代に手を加えらた部分が折り重なっていて、よく見たら分かるって感じです。
無数の木の杭が並ぶこのエリア。斜めに並ぶ石組の列が幕末期に作られた「海軍操練所」の防波堤(第一期)とみられてます。
石積みは3か所で部分的に確認されていて「26m」くらい残っているのではないかと考えられてます。
そのすぐ横の「第三期防波堤」と書かれた石組の列は、幕末の防波堤を利用してその上に新たな防波堤を築いたという痕跡です。
木の杭は建物の跡?と思ったんですが、もっと後にこの辺りを埋め立てる時に打った「地盤を強くするためのもの」ではないかということでした。
ほぼ同じように見えるのに、なぜ年代が分かるのかというと、石の積み方や作り方に時代の特徴が出ているみたい。
古い時代は「布積み」と呼ばれる水平に目地が通る積み方で、それ以降の石積み部分は斜めに積む「谷積み」というより強いものになってます。
また、石を割る時に打つ「クサビ」の幅なんかでも年代が分かるそうです。
神戸市資料より 「明治時代中期の第一波止場の様子」 『瀬戸内海写真帳』 神戸市立博物館蔵
操練所時代よりは後ですが、今回発掘された場所が、まさに映っている明治時代の写真が残ってます。写真右手のY字の防波堤、ほぼ同じ場所から撮ってみると…
いま人が立っている場所は、明治時代には「海」でたくさんの船が並んでいた場所だったんですね。
Yの交わるところにある「信号灯」や「木の柵」の痕跡も今回しっかり見つかってます。
他にも、書ききれないくらいの痕跡が見つかってます。さらに詳しく知りたい方は、現地見学会の資料が公開されてますので、見てみて下さい。
今後、この場所はどうなるのか?
もともとは建物を建てるために何もないか?を確認する発掘調査でしたが、これだけのものが見つかったので、市としては「このままの状態」を見られるような形を目指したい考え。
ただ、もともと旧生田川の河口だった場所ということもあってか、発掘作業中も「水」が染み出してくるため「排水」をどうするか問題など課題はあるそうです。
水族館「アトア」や「神戸アリーナ」など新しいものが出来ていくエリアで、街の歴史に触れることができるこの場所。保存についてのどんな案がでてくるのか、楽しみですね。
◆関連リンク
・神戸市埋蔵文化財センター – 公式サイト
明治時代の波止場の写真は現代の風景と言っても違和感無しですね。
中央奥手に見える白い建物は当時はまさに西洋建築の異人館だったわけですね。