1945年7月8日(昭和20年)
野田文一郎市長が、病気を理由に辞表を提出する。
「悲運な」戦時市長と呼ばれた第9代神戸市長。終戦間際の1945年の今日、辞表を提出しました。
「旺盛な精神力、体力、各位の信任の三つの条件が備わっていなければ、この時局の指導的地位には耐えられぬ」と自問したそうで、神戸の発展と、それを実現させない戦況の中で、悩んだ末の辞表提出だったんだと思います。
◆関連リンク
・野田文一郎 – Wikipedia
その他の今日の出来事
1921年 − 三菱・川崎造船所の争議が同盟罷業に発展
1927年 − 攻府、川崎造船所の救済放棄に関し声明書発表
1936年 − 第3回近畿貿易品見本展示会(商工会議所)
1938年 − 市会に水害対策委員会設置
1939年 − 国民徴用令公布
1944年 − 学童疎開実施要綱発表
1956年 − 第4回参議院議員通常選挙施行、兵庫県当選者成田一郎・松浦清一・中野文門
1955年 − 日本住宅公団法公布、即日実施
1955年 − 灘保健所六甲山分室(ヘルス・センター)発足
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カズマ
神戸ジャーナル 編集長
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