神戸の山あいに佇む秘境のお寺「福寿院」へお手軽探検!  Feel KOBE

「神戸に山あいに佇む秘境のお寺がある。」私の耳にそのような情報が入ってきた。

秘境とは外部の人が踏み入れたことのない、まだ一般に知られていない地のことをいうそうだが、そのようなお寺が本当に神戸にあるのだろうか。疑い半分、興味半分でその情報を詳しく調べてみることにした。

お寺の名前は「夢野大師 福寿院(ゆめのだいし ふくじゅいん)」。兵庫区の山あいに建てられ、その裏手には、四国八十八か所霊場を模した数多の石造りの祠(ほこら)が立ち並び、圧巻の雰囲気を醸し出しているのだとか。

住所は神戸市兵庫区鵯越筋…“ひよどりごえすじ”と読む。昔、歴史の授業か大河ドラマで聞いたことがあるような地名。そうだ、「鵯越の逆落とし(さかおとし)」だ。

1184年、源義経率いる源氏軍は一ノ谷の背後にある断崖絶壁から、馬に乗ったまま坂を駆け下りる奇襲攻撃を仕掛け、平家軍に勝利するという話。よく調べてみると諸説あり、場所の特定にまでは至ってないというが、そんな800年余り昔の歴史的な戦いがこの地で行われていたかも知れないと思うとゾクゾクとするものである。

私は居ても立っても居られなくなり、実際に訪れてみることにした。

【文・写真】やまぴー(福寿院PR隊)
生まれも育ちも神戸。民間企業に十数年勤めた後、神戸市に入庁。神戸愛と行動力を武器に日々奮闘中。
福寿院PR隊とは?…「やまぴー」「つがちん」「とーま」からなる、福寿院の魅力に取りつかれた3人組。共通の趣味はお酒。

鵯越の地名の下に源氏軍と平家軍が交戦したと記されている。
(引用:『兵庫の歴史』落合重信 1993、兵庫区役所)

最寄り駅は神戸電鉄長田駅。路線バスの最寄りもあるが、今回は電車を選んだ。

午後2時頃の昼下がり、神戸電鉄長田駅を出てすぐの、どこか昭和を感じさせる雰囲気を残す街並みは、交通量が多い幹線道路と共存する中で見事なアンバランスを生み出している。

昔からあるお店や建築物。ノスタルジックな香りを楽しみながら、秘境の寺院を目指すのも良いだろう。

勾配が急な“ドーナツ模様の坂”

歩くこと10分。緩やかなヘアピンカーブ沿いを進むとコンビニエンスストアが見える。その脇からドーナツ型の凹みがついたコンクリート舗装の急坂が顔をだす。一気に山中へと誘う、無機質なエントランスだ。真横を通る幹線道路が山を貫いており、斜面補強のためにコンクリートで固められているようである。

少し歩くと、山道に差し掛かる。地元の登山会の人が整備しているのだろうか。山道の手前には木で作られたオブジェが飾ってあり、道も歩きやすいように手入れがされている。土と木で作られた階段を一段一段登ると、高度が一気に上がっていく。

山道の入口は紅葉で色づいた木々が綺麗だった。

鳥の飛来が多く、鳴き声のコーラスが聴こえる。

上がりきるとそこには三差路があった。看板には右は展望広場、真っすぐ行くと夢野大師と書かれている。

ふと視線を左に向けると、良い雰囲気のあずま屋があった。幼き頃に遊んだ秘密基地のような建物である。明石海峡を見渡すことができる眺望もとても良いものであった。あずま屋の縁がちょうど縁側のようになっていて、座って景色を眺めると、爽やかな気持ちになった。

あずま屋には、登山会の人々が持ち寄ったのであろう机や椅子が置いてあった。屋根の裏の看板には、登山会の歌が描かれている

一方の展望広場にも行ってみた。こちらはあずま屋とは逆の方向で、三宮のビル群や大阪湾を一望できる。この眺めを独り占めしている優越感と、神戸の街の美しさに心が満たされた。

ひよどり展望公園にある展望広場。景色の案内図やちょっとしたベンチが置いてあった。

さぁ、いよいよ福寿院への道に足を踏み入れる。陽の光を遮るように草木が茂り、少し薄暗く感じる道々は秘境の地へのワープゲートといった感じか。均された土道、歩きやすい様に木や石で作られた階段は、不規則な足場へと変わり、跳ねるように下り道を早足に下りる。

登ってきた道が下り道へと変わり、奥へ続く。

山道を進むと建物が現れる。

テンポよく進む体が心地よく、もう少し歩いていたいと感じるころに、ふとお寺が姿を現す。

まさに山あいに佇む秘境のお寺。

夢野大師福寿院 本堂

寺があるところだけ開けていて、中心に入ると空が見え、風で揺れる木々の音や鳥の鳴き声がサラウンドで聴こえる。まるで山の小さな音楽会のようだ。山あいに佇む秘境のお寺という表現がしっくりくる。

ずっしりとした瓦屋根の休憩所、赤い柱の立派な鐘楼、小ぶりな五重塔、宗派を象徴する弘法大師の像などがあった。

鐘楼の写真

迫力のある鐘

お賽銭を入れ、手を合わせた。扉越しに立派なご本尊が見える。何を願ったかは内緒である。

手を合わせた近くに記名帳が置いてあった。キャンパスノートには多くの名前が書かれていた。毎日来ている人もいるようだ。

年季の入った記名帳

非日常な秘境を求めて来たが、非日常が日常な人もいる。私はスマートフォンをポケットにしまい、目で見たもの、耳で聴いたもの、肌で感じたものに集中し、日常を非日常な空間に変えていくことにした。

本堂の脇道から裏手へと道が続く。寄進者の名前が彫られた階段を通り、一気に林の中へ。そこには数多の祠が視界いっぱいに立ち並んでいた。手前から奥まで、低いところから高いところまで続く石造りの祠は圧巻そのもの。

立ち並ぶ石造りの祠

四国八十八か所霊場を模した祠

石に刻まれた建立年は大正9年(1920年)や大正15年(1926年)とあり、約100年もの間、この地で歴史を刻んできたのだと思うと感慨深い。そして、祠には順番に一番から八十八番まで番号が刻まれており、四国八十八か所霊場の札所とリンクしている。

なぜ、このような祠があるのだろうか…。私は住職さんに伺ってみた。

現住職は6代目。幼少期からこの地に住まれている。

大正5年(1916年)の建立当時、神戸から四国までは現代のように本州と四国を結ぶ橋が無く、容易にお参りに行くことができなかったらしい。そのような中、四国遍路に行きたいという地域の人々の想いが祠の建立に繋がったという。

祠の中には弘法大師と四国札所のご本尊が祀られ、現地の土も使われているのだとか。100年の間に阪神大水害や第二次世界大戦、そして阪神・淡路大震災など、様々な苦難に見舞われる中で、鵯越でできるお遍路巡礼は、地域の人々の心の支えとなっていたようだ。

しかし、秘境といわれる所以にもなるが、当時参詣していた人々の高齢化が進み、子や孫の代も地域を離れてしまう中で、訪れる人々は減少したという。四国への橋も開通し、お遍路へ行くことも昔と比べて容易となった。

それでも、今の神戸を繋ぐ現代の人たちが、鵯越の人々の想いを乗せたこの地を訪れ、想いを重ねることも良いのではないかと思った。今となっては秘境と呼ばれる福寿院。秘められた想いや歴史を感じながら、ふらっと探検(散歩)に来てみてはいかがだろうか。

夕日がとても綺麗だった。

夜の湊川へ。

気づけば時間は午後5時。吸い込まれるような探検に、時の流れを忘れ、不思議な気分になった。

普段はあまり歩かないが、どれぐらい歩いたか気になりポケットからスマートフォンを久しぶりに取った。歩数アプリを開くと結構な歩数を歩いていたようだ。

ただ、足の疲れはあまり感じず、逆に軽くなった気さえもする。そんな時は、湊川で一杯飲んで、余韻にもう少し浸っていたい。

Information

夢野大師 福寿院
住所 神戸市兵庫区鵯越筋2−1
アクセス 神戸電鉄「長田」駅 徒歩35分、市バス・阪急バス「滝山町」バス停 徒歩15分

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元記事:神戸の山あいに佇む秘境のお寺「福寿院」へお手軽探検!

 

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1 個のコメントコメントを残す
  • Zetton

    ご先祖様が眠るお寺
    ご住職には毎月欠かさず、月参りに来ていただいています。

    2024年1月25日11:21 PM 返信する