灘の酒づくりがよくわかる『白鶴酒造資料館』で日本酒の旨さを学んできた

昔の人の知恵と工夫が詰まった酒蔵の中

順路に沿って進むと、1階奥に「映写ホール」があります。こちらでは酒づくりの歴史や、白鶴酒造の歴史について学べる映像、プロジェクションマッピングを用いた映像が上映されています。

続いて2階へ上ります。この階段も酒蔵として使われていた当時のままだそうで、各段の角が丸みを帯びています。これは1階で蒸した米を冷やすために、急いで2階へ運ぶ際に徐々に削れていったのだとか。

階段の脇には「ぞうり差し」が。当時の蔵人たちはぞうりを履いて仕事をしていましたが、役職に応じてぞうりの格も違ったようです。やはりトップの杜氏が一番立派。

2階に上がるとこんな感じで広々としています。ここでは1階から運んだ蒸米を冷やすほか、麹(こうじ)をつくったり冷ましたり、酵母を増やす「酛(もと)立て」という作業が行われていました。

こちらは「放冷場」。蒸米をいくつかの用途ごとに分け、それぞれ冷やします。

グラウンド整備のトンボがけみたいにも見えますが、単に広げるだけでなく、きちんとした手順や方法があるのも興味深いです。

「室(むろ)」は麹をつくるための特別な部屋。奥まったスペースの中、高温・多湿の状態で作業が行われます。

昔の人がどうやってこんな工程を思いついたのか不思議ですが、裸になるほど暑かったのはわかる気がします。

「室」の気温と湿度を保つための断熱材には、精米した後に残る「もみ殻」が使われていました。これを土壁との間を約75cmも埋めていたとか。昔の人の知恵に改めて感心しちゃいます。

2階の梁に取り付けられているのは「阿弥陀車(あみだぐるま)」。当時はこれを利用して、重い大桶を1階から2階へ引き上げていました。

この作業をしない時は床を閉じることができたそうで、ここにも狭いスペースを効率よく使う工夫が感じられます。

2人がかりで作業しているのは「酛立て」と呼ばれるもの。麹と蒸米を「半切(はんぎり)」と呼ばれる木桶に入れ、水と一緒によくかき混ぜることで糖化を早めます。

この工程は「山卸(やまおろ)し」や「酛摺(もとす)り」とも呼ばれるのですが、「山卸し」を「廃止」したお酒が「山廃(やまはい)仕込み」なんだとか。

聞いたことはあっても、どういう意味かわかっていない言葉があったりしますが、語源を知ると意味もよく理解できるなぁと。

 

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神戸ジャーナル 編集部

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